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題名Re: 大高坂松王丸、松熊神社は夜泣き 子供の病気封じに
コメント 昨夜の夢見の話です〜ちょっくらご報告じゃきに?・。
土佐之国の歴史を想う所、『中先代の乱世』の時代は、鎌倉幕府の終焉の政難の前後の面影を辿れば〜北条高時(幼名成寿丸・得宗家北条時宗の嫡男の貞時(幼名幸寿丸)の子にて得宗家九代・嘉元元年・1303年に生まれて〜南朝暦・正慶二年・北朝暦元弘三年・1333年に没と記す。
さて、この御仁こそ、正中元年(1324年〜)の頃には、伊豆・駿河・上野・武蔵・若狭・備中・そして土佐の国々の守護職を兼務する国政の中心軸・得宗家の棟梁ででした!
はてさて?・・中先代の乱のその当時の伊予の歴史背景には、
土佐之国守護職北条高時(得宗家)の一族・赤松駿河太郎重時なる人物と伊予の国南軍の将・伊予の河野氏同族・土居・得能の軍勢(庵主の想うところ当然ながら南軍の将の惣那氏も御加勢なされたものと)の存在とこの物語の伊予と土佐之国採り物語の一場面かと。
因みにこの戦況の時代に庵主の直系の先祖・河野通有の三男通種の二男・今岡四郎通任が討ち死にと記す(別書我が家の古文書系図にも)。
相変わらず長年の雑記が見苦しいかと・・ごめんよ。
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メーカー / 機種 FUJIFILM / FinePix F401
焦点距離 / 35mm換算 5.7 mm /
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ホワイトバランス Auto
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サイズ 960pixel × 1280pixel (313 kB)
撮影日時 2012:06:25 20:27:53
画像形式 JPEG
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