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題名Re: 大高坂松王丸、松熊神社は夜泣き 子供の病気封じに
コメント 大津天竺禅門(細川皇海と)の存在を辿るには、伊予の前述の国の情勢にその姿を尋ねるは必定かと。
土佐之国は北条高時(得宗家)の治める処なれども、鎌倉幕府の威光も次第に衰退の兆しあり〜正中の変(1324年)元弘の変(1331年から)〜建武(1334年から)〜延元(1336年)の時代に至って後醍醐天皇の御世・中先代の乱(1335年)の乱世の四国の政情は阿波も讃岐も伊予も土佐も〜誠に騒々しく戦況が騒がしい風景が目に浮かんできます。
その時代は、細川頼益殿が土佐之守護代として田村庄に館を設ける康暦二年・天授六年(南朝暦1380年)なのです。
頼行(2人居るが別人かと)〜細川頼益の家系の流れと、四国細川家の流れとは少し別流にて趣を異にしております。
寧ろ、土佐之国の当初の細川氏は公頼を継ぐ、細川一族〜和氏・頼春・師氏〜頼貞氏の家(顕氏・直俊・定禅・皇海)の流れ添った人物が主流であったと見るのが妥当かと考えます。
今となっては手許の資料では、その奥の細道に見うる土佐大津天竺城(中世の築城様式)の縄張りとは相違があれどもその面影を偲ぶ参考資料を見て於いてください。(ご参考までに)
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メーカー / 機種 FUJIFILM / FinePix F401
焦点距離 / 35mm換算 5.7 mm /
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ホワイトバランス Auto
フラッシュモード Off, Did not fire
サイズ 1280pixel × 960pixel (338 kB)
撮影日時 2012:07:03 05:43:48
画像形式 JPEG
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